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神戸地方裁判所 平成7年(ワ)772号 判決

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

理由

一  請求原因

1  請求原因1の事実は、《証拠略》により認めることができる。

2  同2の事実は、当事者間に争いがない。

3  同3の事実は、《証拠略》により認めることができる。

4  同4の事実について判断する。

(一)  事実経過

(1) 原告代表者は、平成七年一月一四日、本件店舗のシャッターに鍵をかけて帰宅した。原告代表者は、同月一五日と一六日は休業し、同月一七日に店に出るつもりであったが、同日発生した阪神・淡路大震災により通勤が事実上不可能となったため、大阪市都島区の自宅で待機していた。

(2) 神戸市土木局防災部宅地規制課の課長であった葛原健雄は、同月一九日、同課員七名とともに震災による被害状況を調査した際、本件店舗付近において検甲一号証の写真を撮影した。右写真によれば、右撮影の時点において本件店舗のシャッターは閉まっていた。

(3) 鹿島技術研究所作成の同年二月一日付け「平成7年兵庫県南部地震被害調査報告書(第一報)」には、本件店舗が撮影された同年一月二〇日付の写真が掲載されている。右写真によると、右撮影時点において本件店舗のシャッターの左半分は半開きになっていた。

(4) 原告代表者は、同月二一日夕方ころ、知人の千田郁恵から電話連絡を受けて本件盗難発生の事実を知ったため、自宅を同月二二日の朝七時半ころ出発し、五、六時間ほどかかって同日の昼過ぎに本件店舗に到着した。

原告代表者が本件店舗に到着した際、シャッターの左半分は人が入れる程度に上がっており、店の内部では、ショーケースのガラスが割られて商品が持ち去られていた。

そこで、原告代表者が警察に被害を届け、直ちに兵庫県生田警察署の警察官による実況見分が行われたところ、シャッターのいずれの鍵にもこじ開けられた形跡はなかったが、鍵穴は横向きになっており、シャッターの底辺には、地面の穴に引っかかるはずの鍵棒が出ていなかった(なお、右鍵穴は、鍵がかかっていてもいなくても横向きになる構造となっている。)。

(5) 同年二月一日、被告の損害調査部員であった山崎寿文が現場調査のため本件店舗を訪れたところ、建物が南側に傾いており、シャッターの支柱も建物と同様に南側の方向に傾いていることが確認された。

(6) 同年五月二三日、山崎が再び本件店舗に調査に行ったところ、シャッターの右側は上下方向にいずれにも動かず、左側は上方向にのみ動いて下方向には動かない状態であったこと、シャッターの支柱がずれていたこと、本件店舗前の地盤が波打っており、シャッターと地面との間隔は、右端と左端とでかなりの差が生じていたことが確認された。

(二)  以上の事実を総合すると、本件盗難は、一九日の夕方から二〇日の日中にかけて発生したものであること、本件店舗のシャッターは一九日までは閉まっており、本件盗難の際、何者かが左側のシャッターを上方に引き上げたものであることが認められる。

ただ、右(一)(4)ないし(6)の各事実、本件店舗付近の被害が甚大であった事実及び本件店舗を含む建物が全壊と認定されている事実にかんがみれば、本件盗難の際、シャッター及び鍵は、地震の際の衝撃により既に損壊しており、窃盗犯人はそのシャッターを引き上げた上で侵入したものと推認され、右犯人が鍵をこじ開けた事実を認めることはできない。

(三)  なお、右の点につき、被告は、本件店舗のシャッターは地震の直後に既に半開きになっていたと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

(四)  また、原告代表者は、警察の実況見分の際、シャッターの鍵棒が出ていないことを指摘された旨供述しているところ、確かに地震の衝撃による損壊であれば鍵棒は出たままになっているのが自然であることから、何者かがシャッターの鍵穴を回したように考えられなくもない。

しかしながら、鍵が地震の衝撃により損壊した場合でも、衝撃の強さ及び方向によっては鍵棒が押し上げられる可能性は十分にあるから、右の指摘が右(二)の認定を妨げるものではない。

二  抗弁

1  一般に、盗難保険契約においては、本件のような地震免責条項が設けられ、保険者は、地震の際の盗難による損害についてはこれをてん補する責に任じないとされている。

なぜなら、ひとたび大地震が発生すると、社会秩序の混乱により盗難が多発し、その損害額が膨大なものになると予測されるところ、これを保険者においててん補するとなると、保険料が高額となり、かえって保険契約者の合理的意思に反するとともに、保険集団を形成することが不可能になり、保険制度として成り立たなくなってしまうからである。

したがって、盗難保険契約においては、通常の危険状態を前提として保険料率が定められており、地震のような異常危険の下で発生した盗難による損害については、そもそも保険料率の算定にあたって計算の基礎とされていないというべきである。

かかる地震免責条項の趣旨及び保険料率の算定方法にかんがみれば、本件免責条項の適用のある盗難とは、保険事故の発生率を高める危険状態の下で発生した盗難を意味するものと解するのが相当である。

2  ただ、本件免責条項を右のように解したとしても、単に通常の危険状態から少しでも危険が高まれば足りるとするのは相当ではない。

右危険状態の具体的内容としては、地震の規模、周辺地域の被害状況、治安状態、当該盗難の発生時期、発生場所、防犯設備の破壊の程度、防犯監視体制の有無といった諸要素を総合的に勘案したうえで、著しい社会秩序の混乱及び治安の悪化が認められることが必要であると解すべきである。

3  この点、原告は、本件免責条項が適用されるためには、法秩序が混乱し、刑罰法規が遵守されないような状況になり、現実に保険事故が多発して保険制度が成り立たなくなるほどの損害が発生することが必要であると主張する。

確かに、原告が主張するように、地震免責条項はあくまで保険契約における「危険普遍の原則」の例外として位置づけられること、また、約款取引における企業者と一般消費者との間には著しい経済的格差が存在することにかんがみれば、免責条項の解釈にあたっては保険者に有利な類推ないし拡張解釈をすべきではないと解される。

しかしながら、原告の主張するように、現実に右のような莫大な損害が発生しなければ保険者は免責されないと解することは、文理から著しく離れた限定解釈であるとともに、前述のような地震免責条項の趣旨を没却するものであり、相当とはいえない。

また、原告は、前述の危険状態の判断にあたっては、あくまで刑罰法規の遵守状況、盗難の発生状況を基準とすべきであり、ライフラインの被害等の事実は考慮すべきではない旨主張する。

しかしながら、前述のように、本件免責条項が適用されるためには、保険事故の発生率を高める危険状態の発生が必要であると解されるところ、右危険状態は、水道・ガス・電気等のライフラインの麻痺、交通・通信手段の断絶といった社会的混乱状況からも生じうるものであるから、右のような状況が右危険状態の発生の有無を判断するにあたって考慮されるべきであることは当然の理である。

なるほど、原告が強調する刑罰法規の遵守状況は、右危険状態の発生を判断するうえで重要な要素であることは間違いないが、それのみを取り出して右危険状態の判断基準とすることは相当ではないと解すべきである。

4  他方、被告は、通常とは異なる秩序の混乱状態が発生すれば本件免責条項が適用されるとし、さらに、地震発生と盗難事故発生との時間的接着性は不要である旨主張する。

しかしながら、右解釈によれば、単に通常と異なる混乱状態に至れば直ちに免責されることになり、本件免責条項の適用範囲をいたずらに拡大するおそれがある。

また、地震発生から時間が経過すれば、社会は平静を取り戻し、防犯設備や防犯監視体制が復旧し、治安状態も改善するのが通常であることから、地震と盗難との時間的接着性は、前述の危険状態の発生を判断するにあたって重要な意味を持つというべきである。

5  そこで、本件において、前述のような保険事故の発生率を高める危険状態が発生していたか否かを判断する。

(一)  地震の規模及び周辺地域の被害状況

本件盗難の発生直前である平成七年一月一七日に起こった阪神・淡路大震災は、マグニチュード七・二に達する大都市直下型地震であり、本件店舗の所在地である神戸市三宮付近では震度七に達するほどの大地震であった。

この地震により、阪神間及び淡路島北部を中心として、関東大震災に次ぐ未曽有の大被害が発生し、兵庫県消防防災課の調べによると、平成九年一月九日時点での兵庫県内における死亡者数は六三九四名、負傷者は四万〇〇七一名にものぼり、家屋については二四万〇〇三〇棟が倒壊、七四五六棟が焼失した。さらに、交通機関が断絶し、水道・電気・ガス等の供給も停止するなど、都市機能が壊滅状態となった(右各数値は、当裁判所に顕著である。)。

本件店舗の所在する神戸市中央区加納町においては、特に建物の被害が著しく、JR元町駅から三宮駅にかけての北側周辺では、木造建物の全壊率が五〇パーセントを超える地域が多かった。本件店舗の北側に位置する柏井ビルは横倒しになって倒壊し、本件店舗の南隣に位置する日本生命三宮ビルも、四階部分が崩壊してビル全体が傾いた。

また、ライフラインの被害も著しく、約一〇〇万戸で停電となり、一月二三日まで右状態が続いていたほか、水道は二月、ガスは三月末になってようやく供給が再開された。本件店舗が所在する中央区も、電気・水道・ガス等の供給停止区域に含まれていた。

さらに、被災地では地震後も余震活動が続き、一月三〇日午後三時現在までの地震総回数は一三〇七回、うち気象官署における有感地震回数は一二六回にのぼった。

右のとおり、本件盗難の直前に起こった地震は極めて規模が大きく、本件店舗の周辺地域に甚大な被害をもたらしたものであると認められる。

(二)  治安状態

中央区の三宮、元町地区において、宝石店などの店舗を狙った窃盗事件が二〇件も集中的に発生し、被害総額が一億円にのぼるなど、震災後の混乱に乗じた窃盗事件が被災地で多発した。このため、三宮や西宮の商店街では自警団が組織されたほか、兵庫県警察本部もパトロール隊を組織するなどして警戒にあたっていた。

また、兵庫県警察本部の調べによると、平成七年一月の神戸市内における犯罪認知件数は九八三件、検挙件数は一三二件であり、そのうち窃盗犯の認知件数は九四一件、検挙件数は九二件となっており、平成六年一二月以前及び平成七年二月以降の窃盗犯の月別検挙率が二割ないし四割程度に達していたことと比較すると、同年一月の検挙率は著しく低下していた。

以上の各事実に加えて、前述のとおり、地震直後は多くの建物が崩壊していたこと、停電が続いており照明設備が機能していなかったことからすると、本件店舗付近の地域における治安の状況は著しく悪化していたものと認められる。

(三)  本件盗難の発生状況

前述のとおり、本件盗難は、震災発生後の平成七年一月一九日から二〇日にかけて発生したと認められ、地震発生から間もない時期に起こったものである。

そして、前記(一)のとおり、本件店舗付近は特に建物の被害がひどく、多くの本造家屋やビルが倒壊したこと、本件盗難が発生したころ、本件店舗前の道路は全面交通規制がなされており、原告代表者本人が同月二二日に大阪市都島区の自宅から本件店舗に赴いた際にも、交通規制により本件店舗前まで車が入れない状態であったこと、一九日には本件店舗の北側に位置する柏井ビルが倒壊して道路上に横倒しになったこと等の各事実を考え併せると、本件盗難は、依然として地震の影響が大きい時期及び地域において発生したものと認められる。

(四)  防犯設備及び防犯監視体制の状況

前述のとおり、本件盗難においては、何者かがシャッターを開けて本件店舗に侵入したことが認められるものの、鍵がこじ開けられた事実は認められず、むしろ地震が発生した時点において既にシャッター及びその鍵は破壊され、防犯設備としての機能が失われていたと認められる。

さらに、本件盗難発生当時、本件店舗には人がいなかったこと、本件店舗周辺は三宮駅北側のビル街であり、夜間は人通りが少なかったと認められること、前述のとおり、本件店舗付近では交通規制がなされ、自動車の通行もなかったと認められること、地震後は被災地の多くが停電となり、本件店舗付近では、本件盗難発生当時も街灯が点灯していなかったと推認されること等の各事実にかんがみれば、本件盗難は、地震の影響により通常の防犯設備及び防犯監視体制が損なわれた状況の下で発生したものと認められる。

ただ、以上のような状況であったとしても、仮に原告が、本件盗難までに本件店舗の応急補修をして、容易には盗難の被害にあわないような措置を講じていた場合等には、地震により本件店舗の防犯設備及び防犯管理体制が損なわれていたとは評価しえないと解する余地はあるが、本件全証拠によっても、原告が右措置を講じた事実を認めることはできない。

(五)  以上の事実関係を総合すると、本件盗難発生当時、本件店舗付近においては、著しい社会秩序の混乱及び治安の悪化が生じていたというべきである。

6  したがって、右状況は保険事故の発生を高める危険状況に該当し、本件盗難は、本件免責条項に規定されている盗難にあたるといえるから、被告は、同条項により、原告に対する保険金支払義務を免責されると解すべきである。

三  結語

以上の事実によれば、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 横田勝年 裁判官 永吉孝夫 裁判官 伊藤 桂)

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